人間・失格

恥の多い生涯を送ってきました。
という大層な序文から始めようと思う。
女として生まれ、ほぼ齢20になろうとしている。私はこれまで何回も死のうとした。特段醜い容姿に生まれたわけでもなく、人に馬鹿にされるような考えをしているわけでもなく、漫画のように酷い家庭環境に生まれたわけでもなく、いじめをうけるようなこともしたわけでもない。ただぼんやりと死にたいと思うことが多々あった。私はこれまで沢山の人と出会い、人間として人を尊敬し、なんとなく人とセックスをした。しかし尊敬は嫉妬に変わり、なんとなくの男女関係は肉体関係へと変わっていく。あの子は私よりここが優れている。だがあの子は私より馬鹿だ。あの子は私よりブスだ。それを唱えて私は深呼吸をして安心をする。気持ち悪いほど鳴ってる心臓も落ち着く。人を見下すことでしか私は能がないのだ。見下すことに疲れた時はLINEを見て適当な男に声をかけて泥酔してセックスにもちかける。男は単純だ。ある程度可愛くてスタイルが良かったら誰でもいいんだろう。500ミリのストロングゼロを調子に乗って一気に流し込む。胃が熱くなり頭に霞がかかる。そして猫撫で声で「酔っちゃったぁ」と耳元で囁いたところで大体私の記憶が無くなっている。寝て起きたら全裸で枕元には使われたコンドームの空き袋と男の寝息が聞こえた。大体いびきがうるさかった。ある子に「なんでセックスがそんなに好きなの?」って問われたことがある。セックスという行為も好きだが一番私が必要としているのは承認欲求だろう。あの男が射精するには私が必要なんだろう? あの男が幸せになるには私が必要なんだろう? それなら私がここにいていいんだろう? ……と化粧の落ちた顔でトイレにこもってゲロを吐く。二日酔いでもなんでもない。気持ち悪い男にキスをされた感触が頭に過ぎるのだ。ふと鏡を見るとキスマークがつけられていた。お前は俺の所有物ってか。さっさと性病でもかかって死ねばいい。喉奥に手を突っ込んで胃液を便器に出す。口の中が酸っぱくなりまたゲロを吐く。セフレと連絡が取れなくなったら適当なおっさんに抱かれて始発で帰って死にたくなりながら歩いて帰っていた。始発で帰ると小学生が集団登校をしてた。アイツらを見てるだけで胸が痛くなる。自分の未来がキラキラしてますよっていう笑顔が順序よく並んでやがる。数十年前は私もその一人だったのになんでこうなっちゃったんだろう。10年くらい経って改めて思ったのは生きるって本当に難しいし、大人になるにも子供の頃に思い浮かべたようには簡単ではない。いつか母のような大人になれると思って母と同じ銘柄の煙草を吸った。母が使うライターの付け方が分からなくてチャッカマンでつけた。熱い煙が口いっぱいに流れ思わず噎せた。咳が止まらなくなった。肺が焼けると思った。生まれて初めて出来た彼氏に「煙草辞めないと、別れる」と言われても私は隠れて吸い続けた。煙草を辞めたらどうすれば大人になれるのだろうか? 子供を持てば大人になるのだろうか? そう思い私は当時の彼氏とセックスをして中出しを強要させた。妊娠はしていなかった。19歳の時の私は大人に選ばれなかった。その頃から煙草の量が多くなった。煙草を吸っている時が人間らしく生きていて、セックスをしている時が一番死んでいる。まるで社会から宙ぶらりんのようだった。どうやら彼氏は私の依存が重荷だったらしい。二ヶ月を過ぎたくらいで壊れはじめた。私が泣いていても気にかけなくなって、精神がおかしくなって倒れた。救急車で運ばれた。深夜の裏路地に彼氏の荒い息だけが聞こえた。私はただ闇雲に泣いた。どうすればいいかも分からなくて知り合いが救急車を呼んだ。倒れた理由はストレスだったらしい。私の存在が負担になっていて疎ましくなっていて三ヶ月で別れた。理由は「これ以上一緒にいると死ぬんや。お前は俺を殺したいんか?」と言われた。私はもう死んでいるのにお前は生きようとするのか? 死にたくなったので首を吊って死んでやろうとした。さっぱり死ねなかった。泣きながら昼間から歩いた。靴が脱げた。煙草に火をつけた。あの時付け方も分からなかったライターは今はもう簡単につけられるようになった。涙で前が見えなかった。彼氏に渡した合鍵は返されていた。一人でも狭いと思っていた七畳の部屋は広く感じた。別れた日から私は不眠症を患った。いくら寝ようとしても寝れなくなって酒に手を出した。酒を浴びるように飲んだ。ゲロを吐いた。煙草が消えると煙草にまた火をつけた。学校は泣き腫らした目で行っていた。私の数少ない依存対象がいなくなった。彼氏に復縁を持ちかけても「お前はもう俺に近付くな」の一点張りだった。ずっとなりたがっていた母親に泣きついた。すると母は「私に頼るな、お前でなんとかしろ」と私を突き放したのだ。ついでに縁を切られた。頭が空っぽになった。依存対象が本当にいなくなった。私を愛してくれる人がいなくなった。自分なんてどうでもいいと言っていた自分が一番自分のこと愛していた。自分に愛される自分が好きなのだ。他人に愛される自分が好きなのだ。愛してくれない他人など興味もなかった。裏切ってきた他人など死んでしまえばよかった。だから裏切った他人を憎んだ。死ねと願った。尊敬していた当時の彼氏は落ちる所まで落ちた。私は喜んだ。私のことを捨てたお前はクズで、お前のことを捨てようとしてなかった私は今愛されている。その事実が私を幸せにした。皮肉にも私は性格が悪いのだ。人が落ちそうになったら落ちそうになってる様をゲラゲラ笑ってしまう。「お前がそんな所で落ちそうになってるのが面白いんだよ」って言ってしまう人間だ。誰よりも人間臭いといえばそうなってしまう。でも人間臭いという一括りではなく、なんといえばいいんだろう。多分、必死に生きてるんだろうな。必死に生きてきたからこんな人間になったわけで……。こんな人間になったからずっと死に方を探してるわけで。もし今死ねるなら喜んで死ぬ。私の死は最終手段なのだ。昔見た祖父の死に顔は安らかだった。今思えばきっと人生を全うしたんだろうなぁ。20年間生きて私の人生は結構全うした気もする。でも孫の顔とか見たいわー、と母に言われそう。孫の顔見たところでなにもない。出産をすれば女は母になる。母になったところで私は私の母のようにしっかり生きられる自信はない。まず明日生きている確証もない。そんな私が新しい命を育んだとしてなにになる? 一人で生きていくだけでも必死なのにそれが二人になって三人になってしまったら……。私はもっとちゃんとした大人になれるのだろうか? 大人になるというレールはそこにあるのか? 母は私の歳にはもう私を産んでいた。私は未だ自分が分からないままずっとまだ生きている。母は自分を見つけたのだろうか。母は私をいつか許してくれるだろうか。一人娘なのに愛されたことなどない。母に「産んでごめんね」と酒に酔いながら言われた時私はどんな顔をしたのだろう。その時の私は何も答えられなかった。産んでごめんねって言われてしまったら私は生きることを否定されたと言っても同義だ。生まれてくる胎内を間違えたのだろうか。もしまた今母に言われたらどう返せばいいんだろう。「産んでくれてありがとう」「私はお母さんの子でよかったよ」……違うな。そんな教科書通りの言葉なんて私の考えではない。きっと「産まれてこなかったらよかったよ」って答えてしまいそうだ。そう答えたら母はどんな顔をするのだろうか。私はきっと泣いている。産まれてこなかったらこんなに苦しむこともなかった。こんなに馬鹿みたいな人生を歩まなかった。こんなに人を嫌うこともなかった。生まれなかったらよかった。別の私が生きてくれたらよかった。あの時死ねばよかった。あの時死んでいたら私は頭が悪いことを自覚しなかった。あの時死んでいたら母を悲しませなかった。あの時死んでいたらよかったなぁ。と思いました。馬鹿馬鹿しいな。馬鹿馬鹿しいけど……誰か私を殺してくれないかな、そして私で苦しんでくれ。それくらいの人間でいいや。生きててもしょうもない人間にしかならないし。しょうもない人間だからこそ何回も死のうとした。最初は腕を切っていた。見せびらかしたら周りの子が心配してくれた。嬉しかった。次は家にある薬を両手いっぱいにかきこんだ。ゲロを吐いた。何回も吐いた。母が心配してくれた。父は泣いていた。嬉しかった。次はカーテンレールで首を吊った。ちゃんと遺書も書いて死のうとした。確か内容は……私が死んで喜んでください。とかそういう卑屈まみれの内容だった。死ねなかった。でも少し意識が飛んでいた。無意識下で暴れたせいでカーテンレールが壊れたんだろう。私は死ななかった。遺書も無駄になった。遂に精神科に通うことになった。私がなんの病気かは言われなかった。母は「この子がそんな病院に通うことはない」と医者に言っていたらしい。そこの精神科は通えなくなった。私は学校を休みがちになった。その時はずっと起き上がれなかった。起き上がろうとすると体が拒否反応を起こしていた。ずっと熱が出ていて泣いていた。母は「あんたの心持ちが悪いねん」と言っていた。そんなこと言われなくても分かっている。でも出来ないからどうしようもないんじゃないか。その時はずっとネットの友達に家族の愚痴を言っていた。皆して「それはあなたのお母さんが悪いよ」と言ってくれた。その言葉で私は安心した。父は「お母さんはずっとあんなんだからお前が大人になって対応すればええねん」と言った。だから基本母と喧嘩しても私が折れた。母は私の意見に耳を傾けないからだ。私が全て悪いって母は思っているからだ。母は嫌なことがあると私のせいにするからだ。父は母の味方をするからだ。狭い家に私の居場所はなかった。だからずっと自分の部屋に引きこもって漫画を書いた。いっぱい人が死ぬ漫画を書いた。母はそれを見て捨てた。なんで捨てたのかを聞くと「嫌だから」と答えていた。私はゴミ箱を漁ってそれを取り返した。漫画を書くのを飽きると小説を書いた。小説は私の思ったことをそのまま見せてくれるから好きだった。母には私が書いた小説を一度も読ませたことはない。読ませたら「馬鹿みたいなこと書いて、もっとマシな物書きなさい」と言うからだ。祖母にも「小説家には苦難した人しか書けない。アンタは普通だから書けないよ」と言われた。勉強は出来ない。だって頭が悪いからだ。運動も出来ない。だって嫌いだから。絵も出来ない。だって私よりもっと上手い人がいるから。だから私は文章を書く道を志した。でも……でも、最終手段だった文章を否定されそうになっている私にはなにが残るんだろうか。それを考えると私はまた死にたくなってくる。私にはきっと……いや、絶対に、なにもないのだ。私という入れ物があってその入れ物は人が決めつけてるものが勝手に入れられていて、それでいっぱいになってるんだ。私が思う私は何もない。誰にでも優しい私。人のことを気遣える私。笑ってる私。何かを好きな私。誰かを好きになっている私。ここで息をしている私。全て他人から見た私でしかなくて、自分から見た私は何もない。そう考えたら息が苦しくなる。自分が本当に存在しているのかが分からなくなる。だから私はたった一人の他者に依存してしまうのだろう。その人は私のことを認めてくれて、私がちゃんと生きているって思わせてくれて、私のことを褒めてくれて……。その依存対象がいなくなったら私は死ぬ。私という存在が否定されるのだから。いくらメイクして服を着飾ってその人に合わせた曲を聴いてその人に好かれることをしてもその人に嫌われたら、私自身の存在が消える。それが一番怖い。すごく怖い。ははは。馬鹿だな。いつになっても大人になれない気がする。こんな人間、さっさと死んだほうがいいね。私はそう思う。皆はそう思う? そう思うって言って欲しいな。そうすれば決心がつく。他人から必要とされなくなったら私は生きる意味がなくなるから。子供のまま死んでさ、生まれ変わって……その時はお母さんが私のことをちゃんと愛してくれて、お父さんも私のことを見てくれて、皆から愛されて……そんな大人になりたいなあ。そんな大人になれるのかなぁ。なりたいなぁ……。